SSブログ

一輪 [NIKON D70s]


喫茶店で晩御飯を食べながら
過去の新聞に目を通していると・・・
千利休と豊臣秀吉のこんな話が載っていた。

【利休の庭に咲く朝顔が見事だという評判がひろまった・・・
それを小耳に挟んだ秀吉は、朝顔を観るために利休の邸宅へ出向くことになった。
すると・・・利休は秀吉が来るという朝に、何を思ったか庭園の朝顔を全て摘み取ってしまい
赤色の一輪だけを茶室に飾ったという・・・。】

無駄を削られるだけ省き、美を凝縮させて緊張感を生む手法・・・。
しかし、一歩間違えれば秀吉の怒りを買って切腹ものである。
凡人には出来ない、命懸けのプレゼンテーション。

そんな利休はやがて芸術・文化だけでなく政治にも影響力を持つようになるが、
余命少ない70歳になって、切腹することになってしまう。
その理由は幾説もあってハッキリしない。

秀吉は利休の才能が怖かったのかもしれない。
権力の頂点に立つ秀吉が心底から影響を受けて尊敬してしまったからこそ、
プライドが傷ついて利休を殺したのだろう。
農民から身を興した秀吉は野暮なイメージがあるけれど、
利休の世界観と才能を本当に理解していたのだろうね・・・。


nice!(1)  コメント(4)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 4

とれびあん

Lorcaさん、こんばんは。
「泣かせてみようホトトギス」という言葉には、もうひとつ意味があったのかもしれないと、日記を読みながら感じていました。

秀吉は、泣かないホトトギスを泣かせる「智恵」を持っている一方で、そういった「智恵」がなければ、自分は、身分も大したことはないし、上には立てない人間だ、という諦観がどこかにあったのではないでしょうか。
だからこそ、庭の朝顔を全て摘み取り、決して高価ではない茶道具を使う利休が、自分の「智恵うんぬん」とは全く違う次元にあると、分かっていたのだと思うのです。

昔の自分は、中身がお粗末な分、他人にモテようと「智恵」、いや、智恵以下の小細工を働かせ、「智恵」がきらめく系の仲間たちとつるんでいたものです。
もちろん、それはそれで愉快な記憶ではあるのですが、今も、心から離れないのは、「赤色の一輪」のような、女性のひかえめなひとことだったりします。
そして、自分が本当に理解し、慈しむべきだったのはどちらだったのか、という後悔も。

と、長々と書いてしまうあたり、利休を殺した秀吉よりもまだまだ修行が足りないのですが・・・(苦笑)
by とれびあん (2006-06-20 01:38) 

riychan

利休は最後の日、主な弟子たちを茶会に招いた。順々に黙々と茶を飲み、最後に利休が飲み干した。弟子たちに茶道具を形見として送るが、茶碗だけは自分に残し、「不運の人の唇に汚れた茶碗は、決して人には使わせない」と粉々に割ったそうです。
利休の心の機微を思うとなんと切ないことでしょう。

Lorcaさんのブログで思わず、利休を知りたくなり、調べてみました。
潔く、気高く、生きた利休を知ると、そのように生きられない自分がなさけなくなりますね。
by riychan (2006-06-20 21:58) 

Lorca

とれびあんさんへ
確かに・・・秀吉と利休は全く違う次元にいたのでしょうね。
自分の次元の方が上なんだということを証明するために殺したのなら・・・後になってすごく後悔したかもしれない・・・。
とれびあんさんの「自分が本当に理解し、慈しむべきだったのはどちらだったのか・・・」という後悔もよくわかります。自分も同じです。
本当に大事なことって気付かないものですよね。
後になって、もう戻れなくなってからジンワリ分かってくる・・・(笑)。
by Lorca (2006-06-21 01:01) 

Lorca

riychan さんへ
たぶん、 いや、間違いなく、riychan さんは潔く気高く生きてると思います(笑)。今までのコメントでちゃんと分かっちゃいますよぉ。
今は美化されちゃってるけど、利休だって私利私欲のある普通のオジサンだったと思うなぁ。本当に潔く気高く生きてる人って、有名になんかならずに、ヒッソリと地味に暮らしているように思います。そして、そんな人は気付かないだけで、意外と身近にいるかもしれませんね・・・。
by Lorca (2006-06-21 01:24) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

フランスパン競馬場とホットドック ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。